大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)1918号 判決

控訴人・原告 大下象教 外一名

訴訟代理人 坂本正寿 外二名

被控訴人・被告 京都府

訴訟代理人 細川俊彦 外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(控訴の趣旨)

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人らに対し、各金一二五〇万円及びこれに対する昭和五二年五月一九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言。

(控訴の趣旨に対する答弁)

1  主文同旨。

2  被控訴人敗訴のときは仮執行免脱の宣言。

(当事者の主張及び証拠関係)

次に訂正、付加するほかは原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  訂正

(1)  原判決二枚目裏二行目「西北角」を「西詰北側(以下『北西角』という。)」と改める。

(2)  同五枚目表六行目と七行目の間に「(七) 請求原因3は知らない。」を加える。

(3)  同六枚目表七行目、同裏一行目、同裏七行目、同裏一〇行目、同七枚目表三行目にそれぞれある「防止柵」をいずれも「防護柵」と改める。

(4)  同八枚目表一行目「劣つており、」の次に「控訴人らは」を加入する。

(5)  及び(6) (証拠関係省略)

二  控訴人らの主張

1  本件においては、高野川の新大橋西詰北側の川岸に接して盛土が放置されていたこと自体が、河川の維持又は管理の瑕疵に当るというべきである。すなわち、新大橋は舞鶴市の中心部に位置しており、付近には住宅が密集し、周辺の学童の通学路に当つていた。新大橋西詰北側の川岸に接着して存在した盛土は、小さな島状をなし、岸に接した部分で約八・三メートル、川の中心に向つて最長約五・二メートルの大きさがあつた。そして、盛土の最も高い部分は水面から約一メートルの高さがあり、岸に接した地点で提防の上部との差は三〇ないし五〇センチメートルで、女、子供でも容易に上り降りできる状態であつた。盛土の表面は踏み固められて滑りやすく、川の中心に面している部分は水中で切り立つていて、急に深くなつていた。高野川の水深は一・四メートルないし二メートルあり、泳げない者が落ちると溺死する危険があつた。右盛土にはいつも付近の子供が降り立つて遊んでおり、子供らにとつて魅力ある遊び場となつていた。この盛土は被控訴人が施工した昭和五〇年の高野川浚渫工事の際に堆積された土砂である。したがつて、右盛土は工事完了後直ちに、あるいは遅くとも矢板囲いの撤去と同時に撤去されているべきものであつて、右盛土が存在したために新大橋西詰北側川岸部分は高野川が本来備えるべき安全性を欠くに至つたのである。

2  新大橋北西角に防護柵を設置していたことは、前記盛土を長期間放置した京都府知事の河川管理の瑕疵を免責するものではない。原判決は、右防護柵の北側に提防に沿つて有刺鉄線が張られていたというが、これは本件事故後に付近住民によつて設置されたもので、事故以前には存在しなかつた。右防護柵は本来転落防止の目的で設置されたものであつて、その高さは約八〇センチメートルしかなく、小さな子供でも容易に越えられるのであるから、侵入禁止の目的のためには不十分なものであつた。また、右盛土には右防護柵を乗り越える以外に大谷隆三の所有地を通つても容易に到達することができたのであるから、右防護柵は盛土への侵入禁止の意味を持つ度合は薄かつたといわざるをえない。

確かに、大下智史が本件防護柵を乗り越えあるいは大谷所有地を通つてまで本件盛土まで降りて行つたことについては非難される点があるかもしれないが、それは過失相殺の問題となりうるにすぎず、京都府知事の管理に瑕疵がなかつたことにはならない。

三  被控訴人の主張

1  本件盛土は控訴人ら主張の河川浚渫工事の際に堆積されたものではない。右工事の際に新大橋西詰北側に設置された矢板囲いは、橋に接着して北側西岸にある排水口をふさぐような状態で設置され、その大きさは南北四メートル、東西五メートルの矩形であつた。本件盛土は右排水口よりさらに下流(北)に堆積されていたのであるから、矢板囲いの位置からいつて明らかなように矢板囲いの中のヘドロが残留したものではない。さらに、本件盛土は赤褐色を呈し畑の土と同質のものであり、矢板囲いの中に残置していたヘドロとは異なる。

また、本件事故が発生した昭和五二年五月一八日午後五時ごろの高野川の水深は一三五センチメートルであつて、本件盛土の大部分は水面上に出ており、その末端は平らな河床に連らなり、その部分の水深は河床のヘドロ層から約一五センチメートルであつた。したがつて、控訴人らの主張するようにその部分が切り立つていて急に深くなつていたということはない。

2  事故当時堤防天端から堆積土上端までの間隔は約六五センチメートルであつた。僅か三〇センチメートル位にすぎなかつたという控訴人らの主張は証拠に合わない。

3  本件防護柵は、道路上からの通行人、通行車両の転落を防止するとともに、人が意識的に高野川に接近するのを制止する効果を果たしていた。しかも、これにあわせて流水に沿つてパラペツト(余裕高)が積み上げられていたのであるから、高野川は通行人に対して通常有すべき安全性を備えていたものというべきである。控訴人らは、幼児が本件盛土へ降りて行くには他に大谷隆三の所有地を通ることもできる旨主張するが、そもそも他人の所有地に無断で侵入して高野川堤外へ達しようとすること自体きわめて異常な行為であつて、是認されることではない。また、もし土地所有者が幼児の通過を黙認していたとしても、高野川が危険であるときにそこに接近しないような設備を設ける法的責任を負うのは当該土地所有者であつて、これを河川管理者に求めることは筋違いである。

四  当審における証拠関係〈省略〉

理由

一  大下智史が昭和五二年五月一八日に死亡したこと、右死亡当時舞鶴市字寺内一四九番地先新大橋西詰北側付近の高野川西岸に接して水上にあらわれた土砂の堆積土(「本件堆積土」という。)が存在していたことは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一号証、乙第三、四号証、原審における控訴人大下象教本人尋問の結果によると、智史は控訴人ら夫婦の三男で昭和四五年一〇月一二日生れ、死亡当時六才七か月(小学一年生)であつたこと、智史は死亡当日の午後四時五五分ごろ友人鈴木和行とともに本件堆積土の上で遊んでいたところ、両名とも相次いで足をすべらせて高野川へ転落し、その結果鈴木和行は救助されたが、智史は溺死したことを認めることができる。

二  高野川が二級河川であり、京都府知事がこれを管理し、被控訴人がその管理費用の負担者であることは、当事者間に争いがなく、前掲乙第三、四号証、成立に争いのない甲第九号証、第二八、二九号証、乙第一号証、第二号証の一ないし七、当審における控訴人大下悦子本人尋問の結果によつて成立を認める甲第一三ないし一八号証、本件事故現場又はその付近の写真であることに争いのない検甲第一号証の一ないし四、第二、三号証、第四ないし二四号証、検乙第一ないし一六号証(検甲第一号証の一については、当審証人清水孝太郎の証言により同人が昭和五二年五月二二日に撮影した写真であると認め、検乙第一四ないし一六号証については、石田欽也が同月二六日に撮影した写真であることに当事者間に争いがない。)、原審証人小林茂、同池上和子、同山田昭、同常見勝也、同石田欽也、当審証人本田脩、同清水孝太郎、同西岡勲、同坂根一治の各証言、前記控訴人大下象教、同大下悦子各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  本件事故現場は、舞鶴市の中心部に位置する新大橋西詰北側の高野川西岸(左岸)付近であり、高野川は同市の市街部を貫流し、事故現場付近においてはその輻員は約二〇メートルで、両側には民家が建ち並んでいて、両岸とも垂直に近い人工の岸壁であり、直ちに水面に接し、ただし、本件事故当時には一か所堆積土による中州状のものがあつた。左岸は川に沿つて道がなく、直ちに民家の敷地となつている。

(二)  京都府舞鶴土木工営所は、昭和五〇年度の河川局部改良工事として、同年七月から一〇月にかけ高野川新大橋上流(南)五二メートルの河床浚渫を谷建設株式会社に請負わせ、同会社は右期間に四〇五立方メートルの泥土をさらい、これを舟で新大橋の西詰北側に左岸に接して作られた東西五メートル、南北四メートルの矢板囲いのところまで運び、その中に入れて水切りをしたうえ、クレーンで新大橋上に停車したダンプカーにのせて搬出した。右浚渫工事は同年一〇月二五日に完了したが、同会社は次期浚渫工事の請負を期待してか右矢板囲いを撤去しないで放置しておいたため、昭和五一年六月ごろと八月ごろ、付近住民から前記土木工営所に対し台風などの増水期のとき矢板囲いで流水が阻害され溢水の危険があるので矢板囲いを撤去するよう要望があつた。そこで、同工営所は同年九月前記会社に命じてこれを撤去させたが、矢板囲いの中に残留していた泥土はそのまま搬出されないで残され、その後その上に不心得者が左岸より土を投棄し、これらが堆積して中州状となつていた。

(三)  本件堆積土は、椀をうつぶせて半分に切り、切口を左岸に付着させたような格好をし、その主要部分は左岸に沿つて南北に約四メートル、川の中心に向つて東西に約三メートルの長さがあり、左岸に接している部分は水面上の高さ約九〇センチメートルで、堤防の上端(後記パラペツトの上端)よりも約六〇センチメートル低かつたが、子供でもパラペツトを越えて降りられる状態であつた。本件堆積土は堤防側から水面に向つて傾斜しており、その表面は赤褐色の粘土質で、乾燥して固まつていた。同所付近の高野川の水深は約一・五メートルであるが、川水は汚濁が激しく水中を見透すことは全くできない状態で、異臭を放つていた。

(四)  京都府知事は、転落事故の防止のため本件事故現場西側(左岸)の護岸に約三〇センチメートルのパラペツト(余裕高)を積み上げ、これに民家の住民等が高野川へ接近転落するのを制止する機能をもたせ、また、新大橋西詰北側部分には、同一の目的でパラペツトの上に橋の欄干と接続して防護柵を設置していた。右防護柵は、新大橋西詰の橋柱から北に約二メートルの地点及び同地点から西に約二・一メートルの地点にそれぞれ高さ約九〇センチメートルのコンクリート製支柱を設け、これにコンクリート製の腰をつけ、その上に上下二本の鉄パイプを配して手摺としたもので、路面からの高さは上段手摺まで約七〇センチメートル、下段手摺まで約五二センチメートル、コンクリート製腰の上部まで約三五センチメートルである(「本件防護柵」という。)。この防護柵は、前記パラペツトとあいまつて転落事故の防止と川への接近を制止する機能を果しており、本件事故発生までその現場付近で転落又は水死等の事故が発生した事例はなかつた。

(五)  本件堆積土に左岸から降りる方法としては、本件防護柵を乗り越えるかあるいはその西側に張られていた訴外大谷隆三方の有刺鉄線を越えるかして同人所有地の畑に侵入したうえでパラペツトを越えて降りる方法と、同人方の北側のドラム管置場に侵入してパラペツト沿いに上流に遡りパラペツトを越えて降りる方法とが考えられるが、それ以外の方法はない。智史らは、本件防護柵を乗り越えてその北側の大谷隆三所有地の畑に侵入し、本件堆積土に降りていたものである。

(六)  付近住民は、本件事故前に子供らがときどき本件堆積土に降りて遊んでいるのを見て危険を感じ、これを叱つて追い払つたことがあるが、事故前に付近住民が前記土木工営所に対し右の危険を理由に本件堆積土の撤去を求めた事実はない。

(七)  本件事故現場付近は子供たちの遊び場にもこと欠くような住宅密集地ではなく、智史宅付近にも好適な遊園地(保健所跡)が存在していた。智史は新大橋の一つ上流の八幡橋を通つて通学していたが、控訴人らから常日頃川へ遊びに行かないように注意を受けていたのに、本件事故の前日にも自宅から約二キロメートル離れた伊佐津川に友人と遊びに行き、川の中に転んで濡れて帰つてきた。

以上の事実を認めることができ、前掲各証拠中右認定に反する部分は直ちに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理に瑕疵があつたとみられるかどうかは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものであるところ、前記認定事実によると、高野川は舞鶴市街を貫流し、新大橋付近では密集した民家の間を流れ、両岸は垂直に近い人工の岸壁で直ちに水面に接し、ただ、本件事故現場において左岸に接して水面上にあらわれた狭少な堆土があつたにすぎず、左岸には川に沿つて道はなく、直ちに民家の敷地となつており、左岸の護岸上に積み上げられた高さ約三〇センチメートルのパラペツトが民家の住民等に対する転落防止の機能を果し、さらに、新大橋の西詰から左岸への転落を防止するために前記防護柵が設置されていたのであり、右防護柵はその材質、高さその他その構造に徴し通行時における転落防止の目的からみればその安全性に欠けるところがないものというべく、本件事故現場においては、高野川の流水は汚濁して異臭を放ち、右堆土は危険で子供のためのてごろな遊び場ではなかつたのであり、智史(当時六才七月)は、近くに適当な遊び場があるのにそこへは行かず、右防護柵を乗り越えて訴外大谷隆三方の畑に侵入し、パラペツトの手前まで来てさらにこれを越えて本件堆積土まで降りてゆき、水際で遊んでいるうちに足をすべらせて水中に転落したものであつて、以上の諸般の事情を総合考慮すれば、本件転落事故は被控訴人において通常予測することのできない智史の異常な行動に起因するものというべく、被控訴人の高野川の管理に瑕疵はなかつたものと判断するのが相当である。

控訴人らは本件堆積土の存在自体が河川の管理の瑕疵に当る旨主張するが、右のように通常備えるべき安全性を有する本件防護柵及びパラペツトによつて高野川への接近を制止している以上、堆積土の存在自体が河川管理の瑕疵に当ると解することはできない。なるほど、本件事故は本件堆積土があつたため智史がここに遊びにきて発生したものではあるが、たとえ堆積土があつても、防護柵、パラペツトによつて侵入すべきでないことが分る場所にこれを乗り越えて侵入し、わざわざ危険な堆積土で遊んだため水中に転落したものであつて、右智史の行動が河川管理者である京都府知事の通常予測することのできない異常な行動であるというべきことは前記のとおりであり、控訴人らの主張は採用することができない。

三  そうすると、控訴人らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当としてこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川添萬夫 裁判官 吉田秀文 裁判官 中川敏男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例